U21デフバスケットボール元日本代表 / 光井凌介選手インタビュー


『デフバスケットボールをご存知ですか?』

デフバスケットボールとは、聴覚障害者によるバスケットボールのことです。補聴器を外し、声や周りの音が聴こえない状態でバスケットボールをプレイします。

昨年、U21デフバスケットボールの世界選手権大会がアメリカ・ワシントンで開催され、日本代表は決勝でアメリカ代表に破れたものの、結果は準優勝。

神戸市出身で、大会準優勝の立役者のひとりとなった、U21デフバスケットボール元日本代表・光井凌介選手にインタビューしました。

 

デフバスケットボールと一般的なバスケットボールとの違い

 

──バスケ歴は?

(光井)部活動としてのバスケは須磨翔風高校(神戸市須磨区)に入ってから始めたんですけど、中学校の昼休みとか体育でバスケ部の友人と遊ぶことが多くて、それで結構シュートが入ったり楽しいなぁと思って。

もうひとつは、高校のバスケ部に2コ上のいとこが入ってて、僕は耳が聞こえないから、いとこが助けてくれることもあるし、周りに僕が耳が聞こえないことを教えてくれることもあるから、いいなと思って入ったのがきっかけです。バスケは今年で6年目ですね。

高校から始めたというのもあって、未経験からバスケ部に入ったので、高3の総体が終わって引退というタイミングまではBチームをウロウロしてたんですけど、進路も決まってたし、何もやることないし、このまま終わったら勿体無いなと思って、ウインターカップまで残ろうと。同学年で僕含め4人残ったのでチームワークも良かったし、うまくコミュニケーションがとれて個人的にもAチームに入れて結構伸びていったという感じですね。ちなみに小学校のときはサッカー部、中学校はテニス部でした。

 

──最後のウインターカップの成績は?

(光井)県大会の一回戦で三田学園に負けて引退しました。

 

──高校を引退したあとは?

(光井)ピックアップゲーム・ワークアウトに参加したり、OBで進路が決まった人たちと後輩たちと一緒にプレーしたりゲーム相手になったりしていましたね。

今は神戸のKONBASというクラブチームに所属しています。デフバスケのチームでは石川県の石川デフブルースパークスに所属していて、2019年3月末にMIMI LEAGUE TOYKO2019 -第17回全国デフバスケットボール大会- に参加します。

 

──今、高校卒業してもうすぐ2年目ですが、デフバスケットボール(以下デフバスケ)を始めたきっかけは?

(光井)遊びでバスケをしてた中学校のときからデフバスケというのは知っていました。遊びで近くのデフバスケチームにも行ってたんですけど、中学生は大会には出られないから練習だけ。高校生から保護者の同意があれば試合に出られたので大会にも出ていました。そのときは全然活躍してなかったです。

高2のときにデフバスケ日本代表の上田監督と知り合って、そこから本格的にデフバスケと関わるようになりました。

 

──ちなみに、普段補聴器を耳から外すと何も聞こえないんですか?

(光井)何も聞こえないです。音がない状態です。それと、普段補聴器をつけていても聞こえ方ってみんな違うんですよ。程度が軽い人もいれば重い人もいるし。

例えば僕はAppleのイヤホンだと音は聞こえるんですが、他のメーカーだと全く聞こえなかったりします。でも他の人がみんなAppleで聞こえるというわけではないんです。

 

──デフバスケと一般的なバスケの違いは?

(光井)基本的に何も変わらないです。まず違うのは補聴器を取ること。デフバスケの試合では必ずみんな補聴器を着けないんです。みんな耳が聞こえない状態になります。でも、ルールは変わらないです。ボールの大きさも時間も得点も変わらないし。

他に違うところは、審判の笛です。大会や会場によって違うんですけど、審判の笛は聞こえないので、目で見えるようにしてあります。笛を光で知らせたり、フラッグマンがコートの四隅に立ってて笛がなると旗をあげたりとか。笛が吹かれても分かるように視覚情報面でしっかりサポートされています。タイムアウトのときは審判がスローインを止めに入ったりします。

 

──デフバスケをプレーする際に一番困ることは?

(光井)コミュニケーションが一番困ります。手話をやろうと思えばできるけど、見るところが多すぎて手話をやっている暇がない。それが一番しんどいです。

普通のプレーヤーだったらスクリーンかかったら「スクリーンスクリーン!」「スイッチ!」とか「ファイトオーバー!」とか言うじゃないですか。でもそれを言っても聞こえないからわからないんで、言いながら地団駄を踏むように振動を起こしたり、味方の背中を手で触って誘導したり。ちなみに僕はディフェンスのときは横に開いた両手を後ろに向けて、後ろからスクリーンが来ていないかを確認しています。デフバスケでは色々頭を使うので疲れますね。

 

──タイムアウトのときも補聴器はつけられないのですか?

(光井)試合が終わるまではすべての選手はベンチにいても着けたら駄目なんです。ちなみに代表の場合は監督・コーチ・トレーナーは耳が聞こえる方でしたので補聴器を外すのは選手だけですね。

大体みんな手話ができるのでタイムアウト時のコミュニケーションは手話でやるか、監督・コーチなどで手話ができない人がいれば手話通訳者をつけるか、ホワイトボードで書いて伝えるか。何でも目で見えるようにして伝えます。

 

デフバスケU21日本代表・世界選手権について

 

──デフバスケU21日本代表について

(光井)2015年にデフバスケのA代表のトライアウトを受けて、そこからデフバスケU21日本代表の強化指定選手に選ばれました。トライアウトも実は、練習に誘われて会場に行ったつもりだったんですが、それがトライアウトでした、笑。自分の連絡先とか身長とか書く紙があって、上にタイトルで「トライアウト」って書いてあったんです。(一同、笑)

2017年に改めてデフバスケU21日本代表のトライアウトがあり、そこから本格的にチームが組まれてU21日本代表が動き出しました。

 

──U21代表に選ばれたときの心境は?

(光井)初めてのことであまり実感はわかなかったです。当初はU21日本代表の強化指定選手だったので、100%代表になれる保証もないし怪我で離脱するかもしれないし。でも、世界選手権が近づくにつれ実感は湧いてきました。

 

──U21代表の練習場所は?

(光井)大阪が多かったです。選手は全国から来ていて、週末の2日間みっちり練習をしました。1日目昼から夜まで練習とミーティング、2日目は朝から昼、残れる人は夕方まで練習。一番遠い選手は岩手から来ていました。

 

──準優勝だった2018年の7月のU21デフバスケ世界選手権ついて

(光井)2018年の7月にアメリカ・ワシントン、ギャローデット大学で行われました。ギャローデット大学は耳が聞こえない人のための大学で、日本の耳が聞こえない人が留学に行ったりとか有名な大学です。参加国はイスラエル・オーストラリア・リトアニア・アメリカ・ウクライナ・ポーランド・ギリシャ・スペイン・カナダ・⽇本の計10チームでした。

 

──U21代表でのポジションは?

(光井)2番、3番ですが、僕の仕事はリバウンドとドライブしてディフェンスが寄って来なかったらシュート、ディフェンス寄って来たらキックアウトという役割でした。
U21はシューターが多いチームだったので、スペース作ってあげたり。サポート役ですね。みんなシュートを入れてくれるから、楽しかったですね、笑。

 

──初戦でスペインに勝ちました

(光井)予選リーグはポーランド・スペイン・ギリシャ・カナダと同じグループだったんですけど、予選リーグの1日目、日本は試合がなかったんですよ。ポーランドとスペインが対戦していたのでスカウティングにいきました。その試合の動画をもとに戦略ミーティングを行いました。その甲斐あってスペインの攻撃パターンとかもわかったし、勝つことができました。

次戦のポーランド戦はディフェンスもオフェンスも思うようにいかなくて。相手に操られて負けるというような試合でした。ですが、その後にギリシャとカナダに勝って予選リーグ3勝1敗でした(ポーランドとスペインも3勝1敗)。

そして、決勝トーナメントの準決勝でもう1度ポーランドと対戦することになったんです。予選リーグでポーランドに負けた動画を何度も見返して、監督コーチとだけでなく、選手だけでミーティングをしたり、攻撃パターンもより詳しく分析してポーランドと試合をして勝ったんです。こっちがやりたいことを思いっきりやって勝てた試合です。その試合で僕がMVPをもらって、大会本部からインタビューも受けました。ただそのインタビューの動画がどこにあるかは知らないです、笑。

 

──最後の決勝のアメリカ戦はいかがでしたか?

(光井)さすがに決勝は緊張しましたね。他の国の選手も、観客もいっぱいいるし、アメリカが相手だから会場もアウェーだし。でも日本を応援してくれてる人もいたし嬉しかったですね。

試合も、僕らはそこまで負けてはいなかったと思うんですけど、やはり技術的にも戦略的にもアメリカの方が上でした。アメリカはチームとしても強いし、個人としても上手い。個人でガンガン攻めるにしても、セーフティもいるしリバウンドもしっかり取りに来る。

それと、日本とアメリカの決定的な違いは、声を出す量がアメリカの方が圧倒的に多かったです。何でも声を出すことでチームみんなで一致団結というかモチベーションが上がるじゃないですか。よくNBAとかで吠えたりするようなそんな感覚です。耳が聴こえないから声を出さないという訳ではなく、日本も出してるのは出してるんですけど、やっぱりアメリカのほうが常に声を出していました。アメリカ代表とはコミュニケーション力の差が大きかったですね。

 

──率直に準優勝という結果を受けて

(光井) 悔しかったですね。勝てない相手ではなかったです。こうやっていたら勝てたかなという反省点がありますね。メダルが獲れて結果も出て嬉しいのは嬉しいんですけど、やっぱり悔しいです。

 

──世界選手権中の現地での過ごし方は?

(光井)大会の一週間前にアメリカについて時差調整をし、合宿とミーティングをしっかりしてから本番という感じでした。ギャローデット大学の中に宿泊施設があって、期間中は大学の中で生活をしていました。オフの日は観光をしてリフレッシュし、また次の試合。という感じでしたね。

 

──デフバスケU21日本代表だった選手のみなさんは、普段はどこでプレイされているのですか?

(光井)代表の選手はみんなどこかの普通のチームでプレイしています。例えばU21で一緒だった津屋一球という選手は東海大学ですし、他にも大学でやってるか、クラブチームでやってるかですね。

 

──デフバスケ人口が増えている実感はありますか?

(光井)増えているとは思います。僕は中学のときに耳が聞こえない人が通う塾に行ってて、その塾がデフバスケのチームを持っていたんです。僕はそういう繋がりがあったので良かったんですが、耳が聞こえないバスケ選手で、デフバスケのことを知らない人、普通の健常者のバスケしか知らない人もいると思います。デフバスケをもっと知ってもらいたいですね。

 

──デフバスケの選手で注目している選手はいますか?

(光井)同い年でデフバスケA代表、宮城教育大学の越前由喜という選手です。理解する能力が素晴らしいです。そしてバスケに対する思いが人一倍大きくて、僕が尊敬する選手です。石川デフブルースパークスでも一緒にプレイしています。

 

──NBAで好きな選手は?

(光井)今はドレイモンド・グリーン(ゴールデンステイト・ウォリアーズ)。常に気持ちとガッツがあるし、ルーズボールやリバウンドとかどこまでもいくじゃないですか。リバウンドのタイミングは動画を見て自分のプレーにも活かしています。あとはアンドレ・イグダーラ(ゴールデンステイト・ウォリアーズ)ですね。

 

──今後の目標は?

(光井)バスケに関しては、今はとにかくバスケがやりたいです。ゆくゆくはバスケつながりで何か仕事ができたらなと思います。実業団に入れるなら入りたいですし。趣味以上のレベルでは続けたいですね。

バスケ以外では将来やりたいことが2つあります。
ひとつは、耳が聞こえない子供を持たれている親御さんのためのコミュニティを作りたいです。子育てをする上で必要な情報を共有できるような。僕みたいに耳が聞こえない人でないとわからないこと、これまで経験したことをどんどん伝えていきたいです。

もうひとつは同様に、耳が聞こえない人が一般社会に出て何に困るのか、企業が耳が聞こえない方を雇用するときに何をサポートできればいいかということを伝えるための講演を開催したいです。例えば、学校に通っているときはみんながサポートしてくれますが、一般社会に出ると耳が聞こえないというのは理解してもらいにくいんです。女性だったら補聴器をつけていても髪で耳は隠れるし、見た目では耳が悪いかどうかなんてわかりません。

仕事をするとなると「電話ができない」というのが一番大変で、僕も補聴器を着けたとしても電話はできません。できる仕事の内容も、電話の必要のない単純作業になりがちですよね。僕は今、学校ではゲームプログラミングを勉強していて、ゲームプログラマーを目指していますが、電話が出来なくてもチャット等で電話の代用ができれば仕事ができる幅も広がります。耳が聞こえなくても働ける職場環境がもっと増えればと思っています。

 

【大会情報 | 光井凌介選手も石川デフブルースパークスで参加!】
MIMI LEAGUE TOYKO2019
– 第17回全国デフバスケットボール大会 –
2019年3月30日(土)~31日(日)
会場:東京都葛飾区水元総合スポーツセンター
詳しくは→ http://jdba.sakura.ne.jp/mimitokyo2019/

 

取材協力・写真提供:日本デフバスケボール協会
インタビュー:隊長・K (BUMP編集部)
編集・インタビュー写真:K (BUMP編集部)

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