安永英治さん(SPORTEREA店主 / 西宮STORKS ARENA DJ)

 

ー  ご自身でもバスケを今もされています、バスケ歴等教えてください。

(安永) 小学校のとき神戸YMCAのミニバスからスタート、5.6年生のとき全国1位になりました。

月刊バスケットボールにも載りました。全国大会の決勝だけ試合前に選手紹介があるんです。名前呼ばれてドリブルしてシュート!っていう。

その印象が今でも強烈に残っていますね、笑。

中学と高校、高校は御影高校で県ベスト8くらい。それからクラブチーム作って、3on3のチームを作りました。『MJ』というチームで、ストリートバスケでも強かったんです。関西でも何回か優勝しました。

当時、今でいう3×3が流行っていたんです。テレビ出演もしましたよ。「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」のバスケコーナーにも出ました。ウッチャンナンチャンさんともバスケやりましたし、SMAPさんの番組にも出演しましたね。

リーボック主催の大会でブラックトップ、ナイキの大会ではエアレイド、などバッシュをくれたりする時代でした。トヨタカルディナカップっていう優勝したら車を貰える大会もありました。完全にバブルですよね、笑。

当時はレギュレーションとかも甘くて、大会に出ると「横浜米軍基地チーム」とかだと全員黒人選手が出てきたり、笑。

塚本清彦さんが兵庫県にいらっしゃったので、試合もしていましたが、当時現役実業団の凄い選手がでてきたり。今の時代では考えられないですね、笑。ストリートだけど当時はルールが厳格だったんですよ。能力勝負、ばちばち、ドロップアウトした個人スキルある人が戦うイメージですね。

 

ー  すごい時代ですね、笑。

(安永) 普段のバスケはポーアイ(ポートアイランド)にリングを誰かがつけてくれていたので、そこでバスケしたり。当時は外国人プレイヤーも多かったですね。須磨海岸に水を入れるタイプのリングを持ち込んで、DJブースを作ってDJしながらバスケしたり。でも熱でレコードがひんまがったり、笑。

神戸でDJありのイベントもやりました。恐らく僕らがはじめてだったと思います。大阪のクラブでバスケやったり。今のSOMECITYみたいな感じですね。

そのMJというチームでバスケをずっとやっていましたが、30代中盤でやめて、次はフットサルをしていました。

その後お店(スポルテリア)を作って、ストークスの話がきて、ある日ストークスの試合の前座でオール育英高校などのレジェンドチームがエキシビジョンマッチをやってたんです。

僕らの世代のスターが年齢を重ねてもまだプレーしてるのを観てとても刺激を受けました。当時めちゃくちゃ上手かったのに、めちゃくちゃ下手になっていたり、笑。そういうのが楽しくて、またバスケを再開しました。

 

ー  現在の所属チームは?

(安永) ピットブルというチームで、一番レベルの高いピットブルS、少し緩めのピットブルP、シニアのピットブルG(=じじいのG)があります。

その中でピットブルSとピットブルGに登録しています。去年シニアの全国大会に招待で出場したんですが、対戦相手は昔のスタープレイヤーばかりだったんです。シニア世代も面白いですね。

 

ー  今後のビジョンや、これからバスケに対してどういった立場で携わりたいですか?

(安永) バスケでお店を満席にしたいです。B2で西宮ストークスが島根に勝って、満席の店内がすごいことになりました。

今ゴンザガ大にいる八村塁選手が、いつの日かNBAで活躍するときに、サッカー日本代表のように盛り上がっていけばよいですね。東京オリンピックもありますし。

ただし、東京オリンピックのときは、店のことはほっといて、現地に観にいくと思います、笑。

 

取材協力:SPORTEREA(スポルテリア)
インタビュー:隊長・K・NOMUTAKU (BUMP編集部)
文:K・NOMUTAKU (BUMP編集部)
写真:K (BUMP編集部)